2020年12月20日日曜日

GoToトラベル17年の二人

 二人の旅17年。その二人とは

①「三蔵法師玄奘」が経典を求めての旅の年月

②「伊能忠敬」が精細な日本地図作成のための旅の年月

二人は距離にすれば地球一周の四万キロ以上を歩いた。共通するキーワードは多いが「経」がその筆頭の一字で多くの「典」と「度」の観測。仏教では釈迦の教えで譬えれば織物の縦糸スートラ、伊能図では緯度より経度測定が難しく木星の衛星を利用しているが歴史的にはクロノメータの普及を待つことになる。

二人の準備期間もすごい。玄奘は仏教以外にも怪しげな西域の135程の国を通過するため、主な7つの言語も習得しているが、仏典を解釈する上でも必要であったのだろう。伊能忠敬は隠居してからの偉業とよく言われるが、それまでも天文学を高橋門下生として習熟しているし、地上の測量術や測定機器入手・改良も大きい。げに地磁気は約7度西をさすが場所によっても左右される。私費を多く注ぎ込んでいる。

その業績は共に始めは歓迎されていない。玄奘は僧侶の出国は国禁、忠敬の測量も江戸府内はおろか他藩を測量するのは難しく、後に幕府御用となったあとでさえも百万石のあの加賀藩では拒否された地域もあったとか。

秘めた追求心。玄奘は大乗経典の「唯識」に出遇うが、訳したのは西域の国の人々で、このような秘中の秘の経典の翻訳だから言語表現できない解釈も多いと原典を求めてインドに向かう。ただ表向きは中国の衆生の安寧のため。そうには違いはない。

忠敬は天文学的見識から「地球の大きさ」を正確に測りたいということであったのだが、幕府老中の政情不明不安な蝦夷地調査測量に、わざわざ日数を要する陸路を「唯の旅人」の如く歩測(後には鉄製の間尺)しながら北に向かう。教科書に記載されているような表向きの目的でこのような偉業は成しえない。それならば誰かがすでに手っ取り早く評価を求めて小さな成果を得ていたはずで、それはもう知りたいという知識欲の「根性」そのものが成しえたのである。

国禁を犯しての帰国。玄奘は唐の時代になっていた太宗皇帝に帰国の許しを求める。道教に変えていた太宗は仏教的偉業とはいえこれを認めるわけにはいかない。しかし西国の軍事的秘密情報の記述を交換条件に認める。この軍事的機密情報を外したものが西遊記として残っている。玄奘は単に赦してもらっただけでなく経典翻訳を国の事業として行える条件もしたたかに得ている。

忠敬の報告は江戸城にではなく、ひそかに行っている。その状況を知った幕府は測量の重要性から、次からは幕府御用としての測量を命じ、江戸府内の測量禁止も解いている。長崎県の対馬からは朝鮮半島南部の山々も交会法で間接測量を行っている。

・・・続く(長期一旦工事中)・・・

参考図

玄奘のたどり

田川郷土研究会で学習中

仏法悟りへの道のたとえの「十牛図」


十牛図:悟りを牛に譬えての教えで 1.尋牛 2.見跡 3.見牛 4.得牛 5.牧牛 6.騎牛帰家 7.忘牛存人 8.人牛備忘 9.返本還源 10.入鄭垂手 




2020年12月16日水曜日

四日市別院「御正忌報恩講」_2020

 大分県宇佐市にある四日市別院にお参りさせていただいた。ワシは前回のお参りは750回忌であったから5年程前だったと思う。田川組は例年ならば貸し切りバスでの団参であったのだが、今年は各自乗り合わせての絞られたコロナ対策下の参拝であった。久々の清々しい別院の御姿に格別の安堵を覚えた。


真宗大谷派/九州教区/日豊地区/四日市別院

お御堂に上がって御本尊の阿弥陀様にお参りさせていただき
続いて右わきの親鸞さまにご無沙汰のお念仏。
着席は最前列にと思ったのだが既にお爺ちゃんと孫が座られていた。お寺さんの子供ではないらしいがバアバ手作りの墨染め姿で小僧さんみたいである。ふと安堵を誰もが覚え、法話の中でも御講師も感想を語られていた。

例年であればぎゅうぎゅう詰めであったのだが、今年はコロナ対策で三密をさけ、このとおりである。一年前の表現であれば「閑散として淋しい限りだった」と皆が云うのであろうが、今年は安堵を覚る。

重厚なお経のお勤めの後のご法話も、予定の御講師がコロナ事情により急遽代理によって勤められた。しかし、少ないが故の良さも大きく重く感じた。
お話はこの御正忌は親鸞聖人759回目の命日を通して、恩を考え自分を振り返る集まりである、ということから始められた。報恩講は三代目の覚如様が特別に重い33回忌をどのようにいとなえばよいかと考えられ ①報恩講②御伝鈔 をと始められたと。

多くのお話をされた最後に金子大栄師の「その人を憶いてわれは生き その人を忘れてわれは迷う」を諭された。

お話の中で紹介された川柳が皆をうならせ笑わせた。うろ覚えだがその一つに「死ぬときは皆が初心者みぎならえ」。これは考えさせられる。「みぎならえ」とは言いかえれば同朋による信心の相続で、ただ独りの信心での安堵はありえないな、とか思案した。

寒気の中だが御堂内の数回の空気の入れ替え。その一つの休憩で、縁側の僅かな物販で声を掛けられた。「あら高瀬さん・それいいですね」と蓮台寺の坊守さん。お念珠に紐をつけ首にぶら下げていたのだが、上着の中にしまうのを忘れていてぶら下げていた。「ワシのネックレスです。こうすると何時もいいんですよ!」と。

寒気もちっとも寒くはなかった報恩講。「初雪やかくありなんと還りみち」(敏) 南無阿弥陀仏

☆ 真宗大谷派 四日市別院 ☆
本日2020年12月16日、四日市別院報恩講の御満座が勤まりました。
本堂内には田川組、奥豊後組を中心に80名程の同行が集まり聴聞する姿が見られました。ご法話は豊前中津組西教寺住職の小袋雅文氏にいただきました。四日市別院教化委員会 広報室


2020年12月9日水曜日

お経は縦の糸


 お経は釈尊が説かれた教え。織物の縦の糸のスートラだと。

キリスト教もイスラム教もヒンズー教も、宗教の教えはみんな人の生きる縦の糸。まるで磁北を教える磁石みたいだ。

世界地図の経緯度線。これがなければ大海原を航行できない。緯線は地軸の傾きであるから物理的に観測出来て一意に決まる。ところが経線は向きは磁石でわかるが、回転する地球の何処を初めとするかによって各国ごとに任意に決められるもの(本初子午線)で緯線とは決定的に違う。つまり現実(緯線)と思想(経線)の違いで次元が違う。犬や猫でも緯線(気候)は重要だが経線はグローバルな人間ゆえのもの。

明治まで日本では天皇のおわします京。歴や時間の管理こそが国家の役目の要であるからだ。ところが天皇が京都御所から東京の皇居にうつられる。その新政府内務省の皇居内ではと、陸軍は陸地測量部内に、海軍は燈台などの設置で海の基準点をと動く。

ようやく明治17年にグリニッジ天文台の国際基準とするも、現在ではその国際本初子午線も西に100m以上移動させている。縦の線である経線は今も変化させており、これは物理的なことではなく人間の煩悩によって動かしている。昭和の地図と平成以後の国土基本図は東京で400mほどずれているという。

衛星利用の時代になっても地球の形を瞬時に計算するのに都合のよい数式に近似させているために場所によってズレは生じる。「経」は時代とともに動くのであるな~と、日々の暮らしの中での聞法の大切さを、宗教上からも刹那せつなの経の大切さを大きく感じる。


2020年11月30日月曜日

オオムの「ダイジョウブ?」とお念仏

田川市ごとうじ銀天街にある「街なか図書館・美術館」でのひとコマです。

戦争童話集作品展での「青いオウムと痩せた男の子の話」のことを是非とも知っていただきたいと許可も得ずに投稿いたしました。作品の素晴らしさ・戦争の悲惨さを伝えたく思う一心からです。















おしまい
この物語は野坂昭如の作品に黒田画伯が絵画としても世に戦争の悲惨さをうったえたものです。

この「ダイジョウブ?」を衆生の口を通しての阿弥陀様の呼びかけといただけば、それこそ「南無阿弥陀仏」のオウム返し相続。幼い孫らにもまずはオウムの如く伝え、やがて孫の50年後にお念仏の相続の意義が伝われば満足ではと思います。

かく思ったのは正応寺「夜の集い」で「オウムの念仏は?念仏か?」が話になって以来考え続けてきていたからです。





2020年11月8日日曜日

正応寺 御正忌報恩講_2020

正応寺 御正忌報恩講にお参りさせていただいた。今年はコロナ対策で三日を二日間に、法座も夜席を止めて朝席・昼席のみとし、一日目と二日目にお参りの地域を分けた協力のもとで勤められる。その詳細はどんなだろうかとマスクを四種類持って先ずは石門で礼拝。



お勤めは報恩講の長く重厚な特別な読み方を通常の読み方に、だがマスクをしていると具合が悪い。取替えてみると孫がくれたものが良かった。おばちゃんらも何枚も持っていて、始まる前のその良し悪しの会話が笑えた。



法話の御講師は熊本県から保々真量師。事前にネットで九州教区のお寺の検索をしていたのだが、同名のお寺が大谷派九州教区の熊本県に二寺あって間違った方を見ていたのだが、あの熊本地震で全壊され本堂復興も未だという熊本市内の激震地からのおこしであった。講師席もビニール隔離の上にマスク。お話がしにくいであろうな~と。



お話はコロナ禍や災害のことからで「一切皆苦」とボードに書かれて始められた。熊本地震の度重なる停電で車庫でさえ電動のシャッターゆえ開かず、楽に暮らしているゆえの生活苦。このコロナ禍も去年は考えもしなかったことと。

葬儀では斎場の方が「家族葬でお願いします」と、もしもコロナが出たら暫くは営業が出来ない理由の自粛。死者ではあるのだが最後のお別れが出来ない苦しさを初めて知った人たち。また介護施設では認知症も軽い方が深刻で、家族が「来ない・こない」と気落ちし健康を崩されて多く早死にされているそうだ。人は人と人の関係で暮らす「孤独に弱い生きもの」と。この他にも多くのことを話された。印象的な言葉に「生は偶然・死は必然」があった。



お斎も簡単な弁当にて三密を避けた。ちょっと外に出てみると紅葉の英彦山に向かうバイクが多い。先日登ったのだが、初めて来たような会話の高齢者仲間の紅葉狩りで賑わっていた。



午後のお勤めが始まり、続いて御文の拝読。それにしてもよそのお寺さんも来られていないので、お内陣も自坊の津垣住職一人である。



午後の昼席のお話は親鸞聖人の時代にも多くの災害が続き、京の加茂川に遺体が積まれていたとか。「生死無常」は無情の情ではなくツネ。法然上人は「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と言われたと45年もあとに親鸞聖人は思い出を書かれている。阿弥陀さまの浄土を宗(ムネ:心の中心)とする話から始められた。

最後は聴聞の老人の話。耳がほぼ聞こえないのだが最前列で毎回座っておられる念仏者。「その場に居たいから」と後で問われて語られたそうだ。自分もそのような歳をとりたいものだと思って正応寺を後にした。

ふと思うに観無量寿経の中を生かされて生きているな~と。この社会とは王舎城そのもの。自分がアジャセでありイダイケでありダイバである。南無阿弥陀仏

2020年9月18日金曜日

正応寺 秋季彼岸会_2020

 正応寺秋季彼岸会にお参りさせていただいた。今年のコロナ禍・長雨・酷暑の影響でお参りはどうであろうかとか考えながら、お寺の前に立つと前の今川の堰が半分壊れて流されていた。



久々のお参りでいささか騒めいていたが、お勤めのリンが鳴らされると仏説阿弥陀経の読経が始まり、やっと参れたという安堵の実感が湧いてきた。
もちろんマスク着用で三密にも配慮しての配置だ。
ご法話は島根県浜田市から河野恵嗣師。

お話は「世界史にも残るコロナ禍でなにもかも変わって、私は今年初めての法要で、正応寺では門徒総代会で決断されての新鮮なことです。」と始められた。

小学生の子供二人は家でYouTubのゲームばかりで、学校に送り出して安心の母や妻は見てはおれません。私に何とかせーやと言う始末で、朝のお勤めと掃除などを一緒にしてきました。つまり子供とともにまっとうなお寺生活が逆におくれましたと。

「真宗=生活」、朝のお勤めが支えとなった。生活とは人生そのもの。どう過ごすかではなく、どう生きるかということが要と。

多くの譬えなどをなされた中の一つに、800年前のローマ帝国のフレードリッヒ皇帝の実験のお話があった。

人間が言語を習わねばどんなふうに育つか「本当の人間語は?」と、50人の産まれたばかりの赤ん坊を集めて十分な環境で育てる。ただ目をみない・笑かけない・話しかけない。すると三歳までに49人が死に、五歳で全員死んだそうだ。

人が人になれない育て方。能力で見て愛情で子供を見ているか。学校・学力の前に与えるものをコロナ禍で考えてみる覚悟がと。

この久々の聞法に、このコロナ禍中でお寺・仏法から離れて「通過だけの人生」。立ち止まって、人生の根元にあるものはと聞法生活の大切さを感じてお寺を後にした。


お彼岸の四日連休に小1の孫娘が一人で三泊の秘境暮らし。やがて迎えの母親に連れられて帰っていったのでヤレヤレ。カカアが「三日が限度やね」と二人で疲れが出てがっくり。

孫が帰って二日目、安堵の日なのだが何やら淋しい秋。ふと孫に埋めさせた大根の畝を見ると小さな芽が出ていた。孫はいないのだが孫と騒いだ思い出がよみがえってきた。一緒のいるときは騒ぎだけだが、いなくなって初めてより鮮明によみがえる。

亡くなった仏様との日々も生前はただ騒いで暮らしていただけだった。心を畑と思えば耕しているだけで決して芽は出てこないが、亡くしてやがて静けさを取り戻したときに芽が出始める心の耕作。嗚呼!このことかと大根の教えに南無阿弥陀仏。



2020年8月16日日曜日

激変のコロナ下のお盆休み

 山の畑の愛犬ニコルのお墓参りで

お浄土田んぼゴルフ場にて
なかなかクラブが振れない
やがて少しは飛ぶように
それにしても田舎のお盆の風習も激変の今年。でもマイカントリーがあるからね~

NHKこころの時代。宮沢賢治6(最終回)「デクノボー」として生きる

  実り=御法 万草=薬草 父への遺言の千部の赤い経本の末に 「アメニモマケズ」の詩は、やがて戦時下の詩ともなっていった。