2023年10月2日月曜日

正應寺_秋季彼岸会並びに永代経法要_2023年10月1日

 正應寺_秋季彼岸会並びに永代経法要 2023年10月1日

暑さ寒さも彼岸まで、昨日まで暑かった。明日からは寒くなる予報で絶好の秋の法要日和。


【朝席】




九州大谷短期大学仏教学科の皆さんもお参りに
尾畑文正師ご法話



【昼席】





津梁(しんりょう)とならんと

お話のメモ

前回からの十年間で、目の手術をし文字が見えづらくなり、気付いたことは、文章が一列に読めていたのが、一文字づつ見らねばならなくなった。

ブラジルでの三年間によく読んでいた文庫本も読めなくなりました。日本に帰って、耳も遠くなって補聴器を付けたが、ますます耳の機能も低下し、閉じこもり気味で人との会話が苦手となりました。

ソーシャルディスタンスの今の世は、人間関係を切り裂く社会。なおさら猫と孤独に暮らす。仏教は閉じこもりを教えてはいない、少しも楽にはなりませんとか言って求めている傾向があるが、自分の安らかな時間を改めて気づかされている。

南米はキリスト教が主な宗教でクリスマスは賑わう。仏教は花まつりが盛んで象徴的。11月2日はフィナードス(Finados)という「諸死者の日」。この日は日本の「お盆」にあたるもので、骸骨衣装の人々が街に出て騒ぎます。そして教会や墓に花を供える。

仏教は「死を通じての法要」。供養が若い人には分かりにくい。死を通じての出会い。月一回の新聞投稿をしているが、今月は大無量寿経の始めの「老病死に出遭った釈迦」で、釈迦はそれらを見て城を出た。

インドには23回行って、ベナレス・バラナシを。ガンジス川では南北二つの火葬場あり、一つはヒンズー教徒用、もう一つが非ヒンズー教徒用。

焼くのに四時間。焼けていなくてもガンジス川に棒で刺して投げ入れる。それを見ながら例外なく世の非常を思う。あるとき生まれ、あるとき死んでいく、絶対真理。

「まだまだ」だと自分のことは見えない。そこにしがみついて自分を絶対化する。その典型が戦争と差別。他を悪とする。

日本国憲法の施行日は1948年5月3日。「戦争はしないよ」が憲法。二千万人が死んだ戦争。ところが最近のこの状況。南の島にミサイルを置いて、戦争を呼び込む政治。その根本は自らを正とする考え。

姉の婿が急死したので遺体はピチピチしていた。その時50歳の姉は「生きたときの顔を、いだいていたい」からと、火葬場に行きたくないと言った。「あかん」と父。「誰もが死ぬと教えてくれている最後の御教示だ」と。

骨を見てその姉は子供たちに「しっかりみなさい」と。正体幽玄の独善的な私も死ぬる存在である。それに応える生とは?。それは休憩後に。


彼岸法要は日本だけ。聖徳太子の頃から。ブラジルも日系ゆえで勤められているが、日本とは季節が反対。覚りを表す彼岸。お経では第18・19・20願は、私たちに向けられた仏の願い。

「欲生我国」の願。我が国に生まれよとの絶対命令。「願生彼国」、超越的概念とは安田理深の言葉。ご本尊は、客観的には阿弥陀と言っているが、「ナムアミダブツ」で届いている。思いを超えて、来て下さっている。

教学的にはここまでだが、彼岸中日は昼と夜が同じながさ。古代から平等の概念があった。阿弥陀仏は37の名で呼ばれるが、平等覚もそのひとつ。平等に生きよと。死んだ人が平等に生きよと。

「戦争をする生」、正に今の時代。根本的に問い直しなさいと思う根本がお彼岸・お浄土。自分一人が安らぐが信心と思っていることも問い直せと。

差別・戦争。9/2公開の映画は、1923年の関東大震災での佃島事件。日清日露戦争で気負った首都も、大震災で一夜にして焼けたが、流言飛語が飛び交った。

朝鮮・中国・沖縄の人が放火していると、自警団を作らせ思いこませた行政。六千人が犠牲の震災だが、香川県の薬売り15名も地方訛りでの方言が通じず捕まった。

今日でも差別言葉で嫌がらせをするグループが東京にいる。都知事も公式記録が国会図書館にあっても「はっきりしていない」とこう発言。その15人が殺されるとき、正信偈の「宝蔵菩薩」と称えて、通じて6人が助かった。

京都の水平社の6人は行商をしていた。念仏を称えるとは平等に生きることと。

以上、午前席

午後席

彼岸・浄土、私たちは此岸。あの世と彼岸は本質的に違う。時間の流れでは「あの世」と一般的には言うが、彼岸はわからぬゆえに同じ呼び方をしてしまう。

私の村の法事では終わりに御料理をいただくが、主人が初めに挨拶をされる。「よくぞ御参り下さいました、あの世でさぞや喜んでおると思います」と。

仏教は過去・現在・未来を超えた世界。時を超えかかわる。社会観念を超えた世界だが、「今」に取り込められ時間で暮らしていく。

天神菩薩の浄土論願生偈には「観彼世界相 勝過三界道」と欲界などの三界を超えてとある。天神の兄は「出出世界相」と表現している。

私たちを超えた世界が、私たちのいたるところに示され、重誓名聲聞十方。大経には超十方と。聞かないがゆえ、聞くことで現わされる。ナムアミダブツで言葉となって知らされている。「私が自分の都合だけの人間」とわからせている。戦争・差別をする。

彼岸花を「悲願花」と書けば、今からのテーマ。彼岸(浄土)⇔此岸(穢土)。↑往生浄土、↓還来穢土。

鈴木大拙と上田?先生が帰りのハワイでの本願寺回教師研修で講演し、質問が無いので逆に質問した。「なぜ浄土に往生するんですか」と。「往生するのは還って来るためです」と教えられた。

穢土だけなら、迷うておることすら分からぬ。仏の真実の世界に触れないと分らぬ。都合でヨシ・ダメの自分の思いひとつ。こんな悪人と自分は善人と思っている迷い。

自己中心的ゆえに浄土に触れる。「遠い処」などと迷えばわからない。往生浄土・還来穢土、真実にふれることで往相還相:自覚の世界。

自分を正す生活を始めるため念仏。問い直すため。「薬があるからと毒を好むべからず」と親鸞聖人。

東本願寺の700回忌のテーマは「信に生き願に生きる」。座談会で「悲願として届けられている、どう生きるか」と。続きは休憩後に。

休憩

「石かわら礫(つぶて)の如き我らなり」と親鸞。これを黄金に変える。彼に到れば自然に正覚を成る。苦海に還りきて津梁(しんりょう)と作(な)らん。(真宗聖典180頁)。

津梁:御用・使命・ミッション。渡し場の橋、菩薩。「津」は国と国をつなぐ意味もある。菩薩の誕生を願う者は分陀利華と。

仏法広まれ⇔世の中安穏なれ。だが、そうはならないウクライナ。強いて言えばロシア安穏。不変ではない。全てが安穏でなければが仏の願い。

「和」は力のある人がよく言う。大臣・知事が「乱すなよ」とよく使う。あつく三宝を敬えは聖徳太子。

津梁は沖縄の首里城正殿の真ん中の鐘に「万国津梁」と彫ってあった。沖縄は平和外交であったが、明治以降は本土の捨石にされた。そして今も。

念仏で他の人も導く。私の念仏が他の人を救う道。橋渡しの念仏者。それが真宗の教え。教えを見過ごしてきた。目が悪くなって字の重さを知り、「津梁」とさせて行くと親鸞。

二種の回向あり。往相の中に還相あり。唐突な事ではない。大経上巻では浄土を作った。下巻は往生する因と果。結果も書かれてあって全部が津梁。他の人に伝えていく縁となる。


























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