2019年11月9日土曜日

正応寺_御正忌報恩講_2019

正応寺御正忌報恩講に御参り。途中、赤村物産センターに寄って弁当を買ったが、恩師の中原会長が引退されたのでただの買い物場所とは寂しいものである。早めにお寺に着いて周りを散歩。


ここの田んぼからは9千年以上前の遺跡がでたので横の家のオバちゃんに発掘当時の様子を聞いた。だがそんなに重要な遺跡とは今でも思っていないと尋ねる説明に驚いていた。日本人は阿蘇の大噴火で全員滅びたがそれ以前の遺跡だ!




一日目のお勤めが始まった。




一日目の御法話は当山の津垣住職。お話はラグビーの選手の「ワールドカップは四年に一度じゃない、一生に一度だ」の言葉から始められた。今年の災害後、14歳の女の子が新聞に投稿した「あなたの大切なものは何ですか」。避難のときに母親から言われたもののリックに入れるものが決まらない。考えた末に「日常生活では」と。

いろんなことが大切だと初めて思った人々。特に電気などが復旧して以前の同じ生活に戻ったのだが、以前の自分と以後の自分に感覚の違いがある。あの星野富弘さんは宗教を得て「平凡を知った」とNHKこころの時代で述べられたとか。




住職は今年の台風の日の門徒の家での法事を勤められたそうだ。遠くから飛行機や新幹線などの運休前の前日に来たとかの話を聞いて、こうまでして人は法事に来られるのかを考えると”亡くなった方が集めた”と。身近な人の死の受け止めをこの御正忌報恩講でたしかめていく。この世には居ないけど大きく影響している方。逆に供養されていると。

最後に小学生の「ありがとう」は、自分のほうが「受け取ってくれてありがとう」だったというお話でしめくくられた。


二日目(日)朝席


日曜日とあってまるで申し合わせたかのように遠くの門徒さんが多く御参りで、何やら世間話でどよめいていたが、「チーン」と鳴ったら一斉に読経が始まった。

二日目からの法座のご講師は愛媛県から真城善麿師。報恩講には今回で四年おいで下さった。お話は「正忌」とはから始められた。正は止まるの意味の一に、進むの意味の止の合字。正忌は己の心を俗から一旦正して進むと。

近年DNA研究が急速に進み人類の古代が明らかにされ強くもないホモサピエンスはなぜ残ったかが解き明かされてきた。それは弱者を「ともに」集団で育てたりする役割を考えた。

人間は動物界で一番未熟で生まれる。これを老人が世話をし、動ける年代が弱いものに食料などを分け与えた。



その集団では”誰がくれたか”という相手への信頼の縁が大事で、お話は仏教の真理に入って行った。  

その消されては書き足された最後のボード。ご想像あれ!。


昼席


古代ギリシャの都市スパルタは障害児は殺し強い国を目指し滅びた。今日の社会は「今だけ金だけ自分だけ」ではと。

人生は苦なり、四聖諦のお話に入って、釈尊の四つの教えを詳しく喩えを交えて話された。



四苦八苦。こころの上澄みと下澄み。命が願っていることとの違いの苦しみをどう乗り越えるか。お話は大乗仏教へと進む。



夜席
夜席はどこのお寺でも少ない。だが田川郡や都郡の住職さん坊守さん方も先生のお話をと多く来られていた。



お話は夜席ゆえレベルを上げられた。その四聖諦の良いこと素晴らしさは分かったとしても我ら凡夫には実行は無理と大乗仏教の「ともに」のコンセプトを話された。



お話の後の座談会。まるで餅つきのように突くお尋ねと、臼の中で返してはまんべんなくと考えを導かれた。

三日目(月)朝席

三帰依は明治時代に宗派を超えた教えをと大内先生が東大生の求めに応じて作られた。ブッダン サラナン ガッチャーミ。サラナンは帰依処という意味で英語では”セルター”と解りやすい。



お話は六波羅蜜多に。昨日よりお斎の準備が早く出来たのか下からオバちゃんらも上がって来た。もちろんスピーカーでは聞いていて、「お茶の時間よ」とかタイミングも図っていたのだったが、是非にライブをと現れた。



三日目(月)昼席 いよいよ御満座。よその門徒さんも毎日来られていた。だが顔見知りでこちらからも出かける。

お話は通しでの聞法でない方でも分かる形でされる。「くよくよ思わず、よくよく思え」、「心配するより心を配れ」と。



最後に四大(地水火風)を話された。地:ゆるぎない・ぶれない。水:潤い・ドライにならない。火:熱・あたたかみ。風:柔軟性・多様性。  


話されたことでもあるのだが、本堂を出た途端に忘れる。だが難しくても気分は爽やかである。「ともに」という強い印象は残っていて、「ともに歳を取るもの同士、ともに死ぬもの同士」と思えば許せると。

今月3日に義母(101歳)の49日法要と山中にある墓に賑やかに納骨をした。今朝のことだが共にお寺に出かけるまえに、「お前も四人の親の面倒をみてきたが、今度はワシをみてくれねばな」と言うと、即「いやよ」と振られた。

しかり、絶対に見捨てないで救うと仰せなのは阿弥陀様だけなのだと「いやよ」の一言で悟れた。女房の名前は「やよい」。「いやよのやよい」ゴロのいい名前だ。

南無阿弥陀仏

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下は今年2019令和元年の正応寺聞法集です 
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 津垣住職のお話になった星野富弘さんの作品の一つです。



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