2020年12月16日水曜日

四日市別院「御正忌報恩講」_2020

 大分県宇佐市にある四日市別院にお参りさせていただいた。ワシは前回のお参りは750回忌であったから5年程前だったと思う。田川組は例年ならば貸し切りバスでの団参であったのだが、今年は各自乗り合わせての絞られたコロナ対策下の参拝であった。久々の清々しい別院の御姿に格別の安堵を覚えた。


真宗大谷派/九州教区/日豊地区/四日市別院

お御堂に上がって御本尊の阿弥陀様にお参りさせていただき
続いて右わきの親鸞さまにご無沙汰のお念仏。
着席は最前列にと思ったのだが既にお爺ちゃんと孫が座られていた。お寺さんの子供ではないらしいがバアバ手作りの墨染め姿で小僧さんみたいである。ふと安堵を誰もが覚え、法話の中でも御講師も感想を語られていた。

例年であればぎゅうぎゅう詰めであったのだが、今年はコロナ対策で三密をさけ、このとおりである。一年前の表現であれば「閑散として淋しい限りだった」と皆が云うのであろうが、今年は安堵を覚る。

重厚なお経のお勤めの後のご法話も、予定の御講師がコロナ事情により急遽代理によって勤められた。しかし、少ないが故の良さも大きく重く感じた。
お話はこの御正忌は親鸞聖人759回目の命日を通して、恩を考え自分を振り返る集まりである、ということから始められた。報恩講は三代目の覚如様が特別に重い33回忌をどのようにいとなえばよいかと考えられ ①報恩講②御伝鈔 をと始められたと。

多くのお話をされた最後に金子大栄師の「その人を憶いてわれは生き その人を忘れてわれは迷う」を諭された。

お話の中で紹介された川柳が皆をうならせ笑わせた。うろ覚えだがその一つに「死ぬときは皆が初心者みぎならえ」。これは考えさせられる。「みぎならえ」とは言いかえれば同朋による信心の相続で、ただ独りの信心での安堵はありえないな、とか思案した。

寒気の中だが御堂内の数回の空気の入れ替え。その一つの休憩で、縁側の僅かな物販で声を掛けられた。「あら高瀬さん・それいいですね」と蓮台寺の坊守さん。お念珠に紐をつけ首にぶら下げていたのだが、上着の中にしまうのを忘れていてぶら下げていた。「ワシのネックレスです。こうすると何時もいいんですよ!」と。

寒気もちっとも寒くはなかった報恩講。「初雪やかくありなんと還りみち」(敏) 南無阿弥陀仏

☆ 真宗大谷派 四日市別院 ☆
本日2020年12月16日、四日市別院報恩講の御満座が勤まりました。
本堂内には田川組、奥豊後組を中心に80名程の同行が集まり聴聞する姿が見られました。ご法話は豊前中津組西教寺住職の小袋雅文氏にいただきました。四日市別院教化委員会 広報室


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