正応寺 御正忌報恩講にお参りさせていただいた。今年はコロナ対策で三日を二日間に、法座も夜席を止めて朝席・昼席のみとし、一日目と二日目にお参りの地域を分けた協力のもとで勤められる。その詳細はどんなだろうかとマスクを四種類持って先ずは石門で礼拝。
お勤めは報恩講の長く重厚な特別な読み方を通常の読み方に、だがマスクをしていると具合が悪い。取替えてみると孫がくれたものが良かった。おばちゃんらも何枚も持っていて、始まる前のその良し悪しの会話が笑えた。
法話の御講師は熊本県から保々真量師。事前にネットで九州教区のお寺の検索をしていたのだが、同名のお寺が大谷派九州教区の熊本県に二寺あって間違った方を見ていたのだが、あの熊本地震で全壊され本堂復興も未だという熊本市内の激震地からのおこしであった。講師席もビニール隔離の上にマスク。お話がしにくいであろうな~と。
お話はコロナ禍や災害のことからで「一切皆苦」とボードに書かれて始められた。熊本地震の度重なる停電で車庫でさえ電動のシャッターゆえ開かず、楽に暮らしているゆえの生活苦。このコロナ禍も去年は考えもしなかったことと。
葬儀では斎場の方が「家族葬でお願いします」と、もしもコロナが出たら暫くは営業が出来ない理由の自粛。死者ではあるのだが最後のお別れが出来ない苦しさを初めて知った人たち。また介護施設では認知症も軽い方が深刻で、家族が「来ない・こない」と気落ちし健康を崩されて多く早死にされているそうだ。人は人と人の関係で暮らす「孤独に弱い生きもの」と。この他にも多くのことを話された。印象的な言葉に「生は偶然・死は必然」があった。
お斎も簡単な弁当にて三密を避けた。ちょっと外に出てみると紅葉の英彦山に向かうバイクが多い。先日登ったのだが、初めて来たような会話の高齢者仲間の紅葉狩りで賑わっていた。
午後のお勤めが始まり、続いて御文の拝読。それにしてもよそのお寺さんも来られていないので、お内陣も自坊の津垣住職一人である。
午後の昼席のお話は親鸞聖人の時代にも多くの災害が続き、京の加茂川に遺体が積まれていたとか。「生死無常」は無情の情ではなくツネ。法然上人は「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と言われたと45年もあとに親鸞聖人は思い出を書かれている。阿弥陀さまの浄土を宗(ムネ:心の中心)とする話から始められた。
最後は聴聞の老人の話。耳がほぼ聞こえないのだが最前列で毎回座っておられる念仏者。「その場に居たいから」と後で問われて語られたそうだ。自分もそのような歳をとりたいものだと思って正応寺を後にした。
ふと思うに観無量寿経の中を生かされて生きているな~と。この社会とは王舎城そのもの。自分がアジャセでありイダイケでありダイバである。南無阿弥陀仏
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