2020年12月29日火曜日

獅子身中の虫(コロナ)

 虫が獅子を死に至らしめる、だが取り除けば獅子は活きてゆけないし、虫も死んでしまう。・・・

人間も食べねば生きてゆけないから、多くのいのちを「いただきます」と食す。いのちはいのちをいのちに変える変換継続装置。

地球の身中の虫である人間。さんざんに食い荒らした。食い荒らし過ぎた。

その症状はいたるところで現れていた。

「様々にを求めてを知る         在りたることも失せたることも」

これが今年の一首かな~ かく身中の虫である我は思う




2020年12月20日日曜日

GoToトラベル17年の二人

 二人の旅17年。その二人とは

①「三蔵法師玄奘」が経典を求めての旅の年月

②「伊能忠敬」が精細な日本地図作成のための旅の年月

二人は距離にすれば地球一周の四万キロ以上を歩いた。共通するキーワードは多いが「経」がその筆頭の一字で多くの「典」と「度」の観測。仏教では釈迦の教えで譬えれば織物の縦糸スートラ、伊能図では緯度より経度測定が難しく木星の衛星を利用しているが歴史的にはクロノメータの普及を待つことになる。

二人の準備期間もすごい。玄奘は仏教以外にも怪しげな西域の135程の国を通過するため、主な7つの言語も習得しているが、仏典を解釈する上でも必要であったのだろう。伊能忠敬は隠居してからの偉業とよく言われるが、それまでも天文学を高橋門下生として習熟しているし、地上の測量術や測定機器入手・改良も大きい。げに地磁気は約7度西をさすが場所によっても左右される。私費を多く注ぎ込んでいる。

その業績は共に始めは歓迎されていない。玄奘は僧侶の出国は国禁、忠敬の測量も江戸府内はおろか他藩を測量するのは難しく、後に幕府御用となったあとでさえも百万石のあの加賀藩では拒否された地域もあったとか。

秘めた追求心。玄奘は大乗経典の「唯識」に出遇うが、訳したのは西域の国の人々で、このような秘中の秘の経典の翻訳だから言語表現できない解釈も多いと原典を求めてインドに向かう。ただ表向きは中国の衆生の安寧のため。そうには違いはない。

忠敬は天文学的見識から「地球の大きさ」を正確に測りたいということであったのだが、幕府老中の政情不明不安な蝦夷地調査測量に、わざわざ日数を要する陸路を「唯の旅人」の如く歩測(後には鉄製の間尺)しながら北に向かう。教科書に記載されているような表向きの目的でこのような偉業は成しえない。それならば誰かがすでに手っ取り早く評価を求めて小さな成果を得ていたはずで、それはもう知りたいという知識欲の「根性」そのものが成しえたのである。

国禁を犯しての帰国。玄奘は唐の時代になっていた太宗皇帝に帰国の許しを求める。道教に変えていた太宗は仏教的偉業とはいえこれを認めるわけにはいかない。しかし西国の軍事的秘密情報の記述を交換条件に認める。この軍事的機密情報を外したものが西遊記として残っている。玄奘は単に赦してもらっただけでなく経典翻訳を国の事業として行える条件もしたたかに得ている。

忠敬の報告は江戸城にではなく、ひそかに行っている。その状況を知った幕府は測量の重要性から、次からは幕府御用としての測量を命じ、江戸府内の測量禁止も解いている。長崎県の対馬からは朝鮮半島南部の山々も交会法で間接測量を行っている。

・・・続く(長期一旦工事中)・・・

参考図

玄奘のたどり

田川郷土研究会で学習中

仏法悟りへの道のたとえの「十牛図」


十牛図:悟りを牛に譬えての教えで 1.尋牛 2.見跡 3.見牛 4.得牛 5.牧牛 6.騎牛帰家 7.忘牛存人 8.人牛備忘 9.返本還源 10.入鄭垂手 




2020年12月16日水曜日

四日市別院「御正忌報恩講」_2020

 大分県宇佐市にある四日市別院にお参りさせていただいた。ワシは前回のお参りは750回忌であったから5年程前だったと思う。田川組は例年ならば貸し切りバスでの団参であったのだが、今年は各自乗り合わせての絞られたコロナ対策下の参拝であった。久々の清々しい別院の御姿に格別の安堵を覚えた。


真宗大谷派/九州教区/日豊地区/四日市別院

お御堂に上がって御本尊の阿弥陀様にお参りさせていただき
続いて右わきの親鸞さまにご無沙汰のお念仏。
着席は最前列にと思ったのだが既にお爺ちゃんと孫が座られていた。お寺さんの子供ではないらしいがバアバ手作りの墨染め姿で小僧さんみたいである。ふと安堵を誰もが覚え、法話の中でも御講師も感想を語られていた。

例年であればぎゅうぎゅう詰めであったのだが、今年はコロナ対策で三密をさけ、このとおりである。一年前の表現であれば「閑散として淋しい限りだった」と皆が云うのであろうが、今年は安堵を覚る。

重厚なお経のお勤めの後のご法話も、予定の御講師がコロナ事情により急遽代理によって勤められた。しかし、少ないが故の良さも大きく重く感じた。
お話はこの御正忌は親鸞聖人759回目の命日を通して、恩を考え自分を振り返る集まりである、ということから始められた。報恩講は三代目の覚如様が特別に重い33回忌をどのようにいとなえばよいかと考えられ ①報恩講②御伝鈔 をと始められたと。

多くのお話をされた最後に金子大栄師の「その人を憶いてわれは生き その人を忘れてわれは迷う」を諭された。

お話の中で紹介された川柳が皆をうならせ笑わせた。うろ覚えだがその一つに「死ぬときは皆が初心者みぎならえ」。これは考えさせられる。「みぎならえ」とは言いかえれば同朋による信心の相続で、ただ独りの信心での安堵はありえないな、とか思案した。

寒気の中だが御堂内の数回の空気の入れ替え。その一つの休憩で、縁側の僅かな物販で声を掛けられた。「あら高瀬さん・それいいですね」と蓮台寺の坊守さん。お念珠に紐をつけ首にぶら下げていたのだが、上着の中にしまうのを忘れていてぶら下げていた。「ワシのネックレスです。こうすると何時もいいんですよ!」と。

寒気もちっとも寒くはなかった報恩講。「初雪やかくありなんと還りみち」(敏) 南無阿弥陀仏

☆ 真宗大谷派 四日市別院 ☆
本日2020年12月16日、四日市別院報恩講の御満座が勤まりました。
本堂内には田川組、奥豊後組を中心に80名程の同行が集まり聴聞する姿が見られました。ご法話は豊前中津組西教寺住職の小袋雅文氏にいただきました。四日市別院教化委員会 広報室


2020年12月9日水曜日

お経は縦の糸


 お経は釈尊が説かれた教え。織物の縦の糸のスートラだと。

キリスト教もイスラム教もヒンズー教も、宗教の教えはみんな人の生きる縦の糸。まるで磁北を教える磁石みたいだ。

世界地図の経緯度線。これがなければ大海原を航行できない。緯線は地軸の傾きであるから物理的に観測出来て一意に決まる。ところが経線は向きは磁石でわかるが、回転する地球の何処を初めとするかによって各国ごとに任意に決められるもの(本初子午線)で緯線とは決定的に違う。つまり現実(緯線)と思想(経線)の違いで次元が違う。犬や猫でも緯線(気候)は重要だが経線はグローバルな人間ゆえのもの。

明治まで日本では天皇のおわします京。歴や時間の管理こそが国家の役目の要であるからだ。ところが天皇が京都御所から東京の皇居にうつられる。その新政府内務省の皇居内ではと、陸軍は陸地測量部内に、海軍は燈台などの設置で海の基準点をと動く。

ようやく明治17年にグリニッジ天文台の国際基準とするも、現在ではその国際本初子午線も西に100m以上移動させている。縦の線である経線は今も変化させており、これは物理的なことではなく人間の煩悩によって動かしている。昭和の地図と平成以後の国土基本図は東京で400mほどずれているという。

衛星利用の時代になっても地球の形を瞬時に計算するのに都合のよい数式に近似させているために場所によってズレは生じる。「経」は時代とともに動くのであるな~と、日々の暮らしの中での聞法の大切さを、宗教上からも刹那せつなの経の大切さを大きく感じる。


「facebook」ー2024年11月01日~

 2024年・令和六年 11月22日ーーーーーーーーーーーーーーーー 京都では東本願寺で報恩講法要が始まったと。九州国立博物館は浄土真宗展も始まった。行きたいのだが「頻尿」ゆえ行けぬ。出かけられるのは、漏らしても良い野良仕事とお念仏のみ。南無阿弥陀仏 https://www.yo...