2021年4月8日木曜日

正応寺_降誕会_2021

正応寺降誕会にお参りさせていただいた。今日は降誕会に仏教婦人会とその追弔会も併せて勤められた。昔からこの日はお釈迦様の誕生を祝い紅白の餅撒きをするなどで、子供たちもやってきて御勤めが終わるのを待ちかねて、お御堂内は大騒ぎであったが、いかんせんコロナ禍でのことで二年ぶりの三密を避けてのお勤めであった。

新緑の中のお勤めが始まった。世界中が委縮して大騒ぎのニュースだが、細々とはいえ何処かで営まれられておることは素晴らしい。阿弥陀さまはどのようにご覧になっておられるのだろうか。

ご法話は津垣住職。お話は「教えとは違う仏教用語」から始められた。「オシャカになった」とか「往生したよ」とか。しかしその譬えが通じていた日常というのは面白い社会現象と。4月8日→ヒガツヨカ→火が強か→ダメになった→オシャカ(の誕生日)。生きな洒落の江戸っ子文化の象徴かも知れないと思った。


釈尊がお生まれになったこの日は聖徳太子の1400回忌の祥月命日でもある。釈尊から1500年後の末法時代に入ったこの倭国に誕生され、祖父の欽明天皇のときに仏教が百済から伝わり、父の用明天皇も仏を敬い、その子聖徳太子は政治においても「厚く三宝を敬え」と治めてゆく。親鸞様は「倭国の教主」と崇められた。
釈尊と聖徳太子、そして親鸞さまの共通点や背景について多く話された最後には、三人ともその時代の権力者には都合が悪く迫害されたが、逆に「仏教は残り、日本に根付き、真宗はこうして伝わってきている」と話を絞められた。

今日はカカーと一緒に初めてお参りにやってきた。二十年勤めていた保育園の母体がお寺で、園児らとこの日はお祝いをし聞法もしてきた。また、お寺のお手伝いやワシを夜席に呼び出していた。つまりワシより聞法は永いのであるが「聖徳太子のお話は初めて」と。その外の話も車中でしながら家に帰った。
お寺の先の坊守さんから「今日は奥さんも御一緒で」と声をかけていただいたので、「はい、二度目の新婚旅行で(^^);」と。

日にちを一日前に二人で間違えていた。一日空いたので、赤村特産物センターに寄り食事をしようか、やっているかな~とか。今日はボタン桜が満開であった。マスクを付ければ婆も民放の女子アナのレポートみたいだ。

日々の暮らしも聞法は「こころの生産」。朝起きて一番に「今日は煩悩をどう造ろうか」と考える前にまずはお念仏。と作られている。南無阿弥陀仏

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#追伸 昔の記録を拡大して御覧あれ!(2008年4月 その82_家出の話)


上の分割拡大で~す。




以下が正応寺降誕会の部分です。



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