田川市ごとうじ銀天街にある「街なか図書館・美術館」でのひとコマです。
戦争童話集作品展での「青いオウムと痩せた男の子の話」のことを是非とも知っていただきたいと許可も得ずに投稿いたしました。作品の素晴らしさ・戦争の悲惨さを伝えたく思う一心からです。
おしまい
田川市から情報発信の意義を考えています。画像は中央公園から南方の英彦山方向で行動範囲です。田川文化連盟常任委員、正応寺法要など仏教関連、リラの会事務局、歴史研究会に参加していますが、普段は畑などを軽トラでウロウロ生息しています。
田川市ごとうじ銀天街にある「街なか図書館・美術館」でのひとコマです。
戦争童話集作品展での「青いオウムと痩せた男の子の話」のことを是非とも知っていただきたいと許可も得ずに投稿いたしました。作品の素晴らしさ・戦争の悲惨さを伝えたく思う一心からです。
正応寺 御正忌報恩講にお参りさせていただいた。今年はコロナ対策で三日を二日間に、法座も夜席を止めて朝席・昼席のみとし、一日目と二日目にお参りの地域を分けた協力のもとで勤められる。その詳細はどんなだろうかとマスクを四種類持って先ずは石門で礼拝。
お勤めは報恩講の長く重厚な特別な読み方を通常の読み方に、だがマスクをしていると具合が悪い。取替えてみると孫がくれたものが良かった。おばちゃんらも何枚も持っていて、始まる前のその良し悪しの会話が笑えた。
法話の御講師は熊本県から保々真量師。事前にネットで九州教区のお寺の検索をしていたのだが、同名のお寺が大谷派九州教区の熊本県に二寺あって間違った方を見ていたのだが、あの熊本地震で全壊され本堂復興も未だという熊本市内の激震地からのおこしであった。講師席もビニール隔離の上にマスク。お話がしにくいであろうな~と。
お話はコロナ禍や災害のことからで「一切皆苦」とボードに書かれて始められた。熊本地震の度重なる停電で車庫でさえ電動のシャッターゆえ開かず、楽に暮らしているゆえの生活苦。このコロナ禍も去年は考えもしなかったことと。
葬儀では斎場の方が「家族葬でお願いします」と、もしもコロナが出たら暫くは営業が出来ない理由の自粛。死者ではあるのだが最後のお別れが出来ない苦しさを初めて知った人たち。また介護施設では認知症も軽い方が深刻で、家族が「来ない・こない」と気落ちし健康を崩されて多く早死にされているそうだ。人は人と人の関係で暮らす「孤独に弱い生きもの」と。この他にも多くのことを話された。印象的な言葉に「生は偶然・死は必然」があった。
お斎も簡単な弁当にて三密を避けた。ちょっと外に出てみると紅葉の英彦山に向かうバイクが多い。先日登ったのだが、初めて来たような会話の高齢者仲間の紅葉狩りで賑わっていた。
午後のお勤めが始まり、続いて御文の拝読。それにしてもよそのお寺さんも来られていないので、お内陣も自坊の津垣住職一人である。
午後の昼席のお話は親鸞聖人の時代にも多くの災害が続き、京の加茂川に遺体が積まれていたとか。「生死無常」は無情の情ではなくツネ。法然上人は「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と言われたと45年もあとに親鸞聖人は思い出を書かれている。阿弥陀さまの浄土を宗(ムネ:心の中心)とする話から始められた。
最後は聴聞の老人の話。耳がほぼ聞こえないのだが最前列で毎回座っておられる念仏者。「その場に居たいから」と後で問われて語られたそうだ。自分もそのような歳をとりたいものだと思って正応寺を後にした。
ふと思うに観無量寿経の中を生かされて生きているな~と。この社会とは王舎城そのもの。自分がアジャセでありイダイケでありダイバである。南無阿弥陀仏
正応寺秋季彼岸会にお参りさせていただいた。今年のコロナ禍・長雨・酷暑の影響でお参りはどうであろうかとか考えながら、お寺の前に立つと前の今川の堰が半分壊れて流されていた。
お話は「世界史にも残るコロナ禍でなにもかも変わって、私は今年初めての法要で、正応寺では門徒総代会で決断されての新鮮なことです。」と始められた。
小学生の子供二人は家でYouTubのゲームばかりで、学校に送り出して安心の母や妻は見てはおれません。私に何とかせーやと言う始末で、朝のお勤めと掃除などを一緒にしてきました。つまり子供とともにまっとうなお寺生活が逆におくれましたと。
「真宗=生活」、朝のお勤めが支えとなった。生活とは人生そのもの。どう過ごすかではなく、どう生きるかということが要と。
多くの譬えなどをなされた中の一つに、800年前のローマ帝国のフレードリッヒ皇帝の実験のお話があった。
人間が言語を習わねばどんなふうに育つか「本当の人間語は?」と、50人の産まれたばかりの赤ん坊を集めて十分な環境で育てる。ただ目をみない・笑かけない・話しかけない。すると三歳までに49人が死に、五歳で全員死んだそうだ。
人が人になれない育て方。能力で見て愛情で子供を見ているか。学校・学力の前に与えるものをコロナ禍で考えてみる覚悟がと。
この久々の聞法に、このコロナ禍中でお寺・仏法から離れて「通過だけの人生」。立ち止まって、人生の根元にあるものはと聞法生活の大切さを感じてお寺を後にした。
お彼岸の四日連休に小1の孫娘が一人で三泊の秘境暮らし。やがて迎えの母親に連れられて帰っていったのでヤレヤレ。カカアが「三日が限度やね」と二人で疲れが出てがっくり。
孫が帰って二日目、安堵の日なのだが何やら淋しい秋。ふと孫に埋めさせた大根の畝を見ると小さな芽が出ていた。孫はいないのだが孫と騒いだ思い出がよみがえってきた。一緒のいるときは騒ぎだけだが、いなくなって初めてより鮮明によみがえる。
亡くなった仏様との日々も生前はただ騒いで暮らしていただけだった。心を畑と思えば耕しているだけで決して芽は出てこないが、亡くしてやがて静けさを取り戻したときに芽が出始める心の耕作。嗚呼!このことかと大根の教えに南無阿弥陀仏。
北九州市によりますと、市内で新たに26人が新型コロナウイルスに感染していることが確認されました。北九州市で感染が確認されたのは7日間連続で、この間の感染確認の合計は69人に上っています。
これで、福岡県内で新型コロナウイルスへの感染が確認された人は延べ729人になりました。
田川市美術館で開催中の「第61回 公募田川美術展 」( 期間:2026年10月14日~10月 25日)に。久留米市在住の同級生が「若山牧水の歌」の書を応募していてビックリ。/伊田商店街のギャラリー豊youでは「是澤清一・復活展」に。入口の両サイドには上津野からの雪の英彦山が。添...