2023年11月30日木曜日

「facebook」ー2023年10月~12月31日

 

2023年・令和五年

12月27日ーーーーーーーーーーーーーーーー
師走の満月。寒空に小さくも高く広くこの世を尊く照らす。掴む:手偏に国、政治家も起業家も何を掴もうとしているのか、ワシも信心を掴もうと。南無阿弥陀仏


12月25日ーーーーーーーーーーーーーーーー
宇佐市本願寺派 光蓮寺掲示板/by寬神X’S
南無阿弥陀仏

           

12月23日ーーーーーーーーーーーーーーーー
やっと雪が上がったが寒い。水道・温水も止めて三日目。冬は寒波との闘いの防災生活。だが昨日の雪景色は御浄土であった。南無阿弥陀仏

12月22日ーーーーーーーーーーーーーーーー
雪中の里巡り。法語が農家の納屋に張ってあった。爺様のお気に入りのお寺のお下がりなのだろうな。近くの道路脇にも掲示板迄作られている念仏者。南無阿弥陀仏



12月21日ーーーーーーーーーーーーーーーー
風雪や老いも賜る山の里 ババア如来とオレオレ菩薩

南無阿弥陀仏

12月19日ーーーーーーーーーーーーーーーー
寒い日々。コタツで「武田鉄矢の三枚おろし」。なかなか考えさせられた「唯識」だ。

人間は「自分を呪い続ける愚かな生きもの」、ENDを考えるとき嫌な記憶が好い記憶に変化する。老いも頂きものと
南無阿弥陀仏

12月17日ーーーーーーーーーーーーーーーー
夜半に天井裏から二匹の物音。ならばと教行信証の現代語朗読を音量大で流す。気付けば静かになっていた。ネズミの親鸞と恵信尼様だったのかなと。南無阿弥陀仏

12月16日ーーーーーーーーーーーーーーーー
孫らに「お年玉の約束も顔さえも思い出せん」と言うと、「それ認知症よ。ダイジョウブ、録音しておいたからゲラゲラ」と。顔が思い出せん:これよ~(^▽^)/だと。南無阿弥陀仏

12月14日ーーーーーーーーーーーーーーーー
街なか図書館美術館の当番を終えて田川市美術館へ「本橋成一とロベール・ドアノー」の「交差する物語」の写真展に。壁に「生まれては消えゆく『いのち』の中に同じ『いのち』、同じ人は絶対にいない。本橋成一と書かれてあった。南無阿弥陀仏

12月11日ーーーーーーーーーーーーーーーー
添田公園の展望台まで散歩。正信偈の講座録音を聴きながらの50分。天神菩薩の一心、親鸞聖人はこの一心も如来の一心と。

ここらが信心の胸突き八丁であるなと念仏の息。南無阿弥陀仏

12月08日ーーーーーーーーーーーーーーーー
街なか図書館美術館の当番。田川市ごとうじ銀天街は師走の売り物や広告。年明け14日には田川文化連盟主催の「やるばい!」も張り出されていたが「がんばるばい!」。お年玉工面を如何にせん!孫らは虎視眈々。南無阿弥陀仏

12月06日ーーーーーーーーーーーーーーーー
正應寺の集い。今年最後のテーマは葬儀と荘厳についての「仏事のあれこれ」。
「私の『今ここ』」は節目が無ければ不安定となる葬儀の大切さ。
御本尊はお東は大経の華光出仏のお姿。

報恩講での「この先に出遇いそうな気がする『予感の聞法』の話も。南無阿弥陀仏

12月04日ーーーーーーーーーーーーーーーー
国東の六郷満山文化の写真集を見ていたら、鬼会の面の中に、そっくりなカカーを発見。ワシも右の鬼面のような顔になりたい。南無阿弥陀仏

添田町法光寺掲示板 もえさかる この煩悩をいかにせむ あみだ仏の み手のままに。中村久子

12月02日ーーーーーーーーーーーーーーーー
月参りにお寺さん。報恩講での九州大谷短大の学生さんらの話を。大学でのイベントにも行きたいが筑後市はいささか遠い。仏の郷の国東の「抱き仏」(杵築市正覚寺)にもお参りしたいものと。南無阿弥陀仏

正應寺ハガキ通信から 私たちの思っている「知恵」や「願い」は実は「煩悩」の別名なのかもしれません。。。

11月30日ーーーーーーーーーーーーーーーー
街なか図書館美術館の当番を終えて、田川市美術館へ子供たちの絵画展を観に行った。こころが明るくなるな~子供たちの絵。おっ一年生!。


ーーーーーーーーーーーーー
添田町の本町周りを散歩。山手に回るコース。正信偈を称えること5回ゆえ5000歩の3km。お寺を通る道は気持ちが落ち着く。南無阿弥陀仏

11月29日ーーーーーーーーーーーーーーーー
捨てる野菜の芯。土に埋めて再生の可愛い野菜ら。春菊も二度目の再生中で持って帰って家に置いて使う。友にプレゼントも。南無阿弥陀仏

散ると見たのは凡夫の目、木の葉は大地にかえるなり。築上町円成寺/by寬神X’S。


11月27日ーーーーーーーーーーーーーーーー
「南無阿弥陀仏によって救われるとは?」池田勇諦師の御法話動画。自我に立って状況変化を生きておるだけ。立つ位置を仏智に転換。本当に生きておるのか?と。南無阿弥陀仏


11月26日ーーーーーーーーーーーーーーーー
「国」から追われ逃げ出したものが真っ先に作るのが「国」。そうして多くの国が出来て、戦争が絶えた時代は無い。ある世界史講座から。南無阿弥陀仏

11月22日ーーーーーーーーーーーーーーーー
添田町の油木ダム。落ち葉の湖畔を「鎌倉時代の仏教」を聴きながら散歩。庶民の為の仏教。一番落ち着く散歩コース。南無阿弥陀仏

11月17日ーーーーーーーーーーーーーーーー
「いのちってナンボ?」。子供たちの戦争童話の感想が田川市ごとうじ銀天街「街なか図書館美術館」に掲載されている。「おしえてください、死んだらどうなる私の心」と。南無阿弥陀仏
                   ~ふわっととけてなくなる?
                   ~きれいさっぱりなくなる?
                   ~どこかに行って生きている?
                   ~カスが残る?

                             

11月15日ーーーーーーーーーーーーーーーー
外国人二人がやってきて「これは何ですか」と。「芋ほりや子供たちの遊びの場ですよ。何の意味もありません」と言うと、「オウ!スバラシイ」パチパチパチパチ。南無阿弥陀仏

11月11日ーーーーーーーーーーーーーーーー
「天才ばかぼん」は古代インド語から赤塚不二夫が命名の漫画。漢訳は「薄伽梵」で意味は世尊。(現代書館11日本の仏教より)南無阿弥陀仏

11月10日ーーーーーーーーーーーーーーーー
「命てなんですか」。子供たちの戦争童話の感想が田川市ごとうじ銀天街「街なか図書館美術館」に掲載されている。この問いに応えられる大人は娑婆世界には現在はいませんね~。南無阿弥陀仏


11月05日ーーーーーーーーーーーーーーーー

芋掘りに田川市の家族が添田町山中にやって来た。孫娘も遊びの指南に。子供には子供、年寄りには年寄りだな~。南無阿弥陀仏

11月04日ーーーーーーーーーーーーーーーー

田川市こども音楽祭。田川文化連盟常任委員なので駐車場係り。孫らも婆を伴ってやって来た。西中学が演奏するからだ。いい演奏会だった。南無阿弥陀仏

11月01日ーーーーーーーーーーーーーーーー

南無阿弥陀仏

10月31日ーーーーーーーーーーーーーーーー
人類は「とんでもない奴らだ」と知らされる今日このごろ。カマキリ/ボロ爺

南無阿弥陀仏

10月30日ーーーーーーーーーーーーーーーー
添田町観光の一日。ふるさと祭り→道の駅→彦山駅からBRTで宝珠山駅まで往復(福岡県脱出)→英彦山:花見が岩。今年ピークの人出だった。南無阿弥陀仏

行橋市 両徳寺 親の言うことを聞かぬ子も、親のまねは必ずする。/by寬神X’S

10月29日ーーーーーーーーーーーーーーーー
南無阿弥陀仏

才市はどこにおる。浄土もろうて娑婆におる。福岡県 専広寺/by寬神X’S

10月22日ーーーーーーーーーーーーーーーー
南無阿弥陀仏

幸せはなるものではなく、気づくものである。北九州 生往寺/by寬神X’S

2023年11月7日火曜日

正應寺_御正忌報恩講_2023年11月05日

1 正應寺_御正忌報恩講が2023年11月05~06日の二日間勤められた。

2 一日目の朝席

3 お内陣には大谷短期大学からの面々

4 門徒衆や余所の信者さんもお参り

5 実際には緊張したであろうな~

6 御文拝読の娘さん。もう僧侶でござる。

7 法話の御講師は真城義麿師。

8 お話は「誕生」から始められた。

9 幾多の出来事、35才で罪人として流罪に。


10 午後席

11 お勤め


12 午後席のお話は「忌」から始められた。

13 そして「人知」から三毒の煩悩へと話をすすめられた。

14 やっかいな人のこころ。

15 相対的ニーズを絶対的と思ってしまう。


16 大谷短期大学の今季卒業予定の皆さんによる催し。

17 手話で「真宗宗歌」を。阿弥陀様みたいな手。

以上第一日目のみの写真UP


メモ(如是我聞11月5日朝席のみ掲載)

850年前に親鸞聖人は誕生。人には「あのときが次の誕生」という節目のときがある。聖人は8才で母も亡くし、9才の春の夜に寺に入る。

俗(家は世間)→出家(聖) 9才:範宴
比叡山→法然の下へ     29才:綽空
罪人として流罪還俗     35才:藤井義信

愚禿釋親鸞と自ら名乗る。
愚:覚者の逆で本当のことがわからない無自覚。求めつづけやまない。
禿:非僧卑俗。知恵があるからやっかいな愚。

制服は卒業式で脱ぐためにある。非俗の俗、それでいいのかの俗。日ごろの心にては往生かなうべからず。無量・不可思議。

私のためにばかりになる御利益。深い問、深い求め。心の底からいのちの願。弟子の準備ができると師が現れる。


ブータンはGDPでなくGNH。ゼネラル・ナショナル・パッピー。利他教育。貧しい国だが殺虫剤はありません、殺していい虫はブータンには存在しないと。ウクライナのジェレンスキー大統領がイスラエルを支持する発言で、支援が減る動き。

この前笑ったのはいつ?。幸せを求め違いしていたと、自分の都合でのなりたち。子育て三つのカン(観・勘・感)。あるのに出会ってない幸。私は私は→私のために私のことを。念じて下さっている仏。念仏は仏が念じている。

真宗宗歌の「何にたとうべき」。たとえられぬ。ひたすら道を聞きひらき、まことのみむねいただかん。予感の聞法:この先に出遇いそうな気がする。

本堂・本尊・本山・・・「本人」とは。とわの闇、見えない足元。白い闇もある。

以上朝席メモ

2023年10月2日月曜日

正應寺_秋季彼岸会並びに永代経法要_2023年10月1日

 正應寺_秋季彼岸会並びに永代経法要 2023年10月1日

暑さ寒さも彼岸まで、昨日まで暑かった。明日からは寒くなる予報で絶好の秋の法要日和。


【朝席】




九州大谷短期大学仏教学科の皆さんもお参りに
尾畑文正師ご法話



【昼席】





津梁(しんりょう)とならんと

お話のメモ

前回からの十年間で、目の手術をし文字が見えづらくなり、気付いたことは、文章が一列に読めていたのが、一文字づつ見らねばならなくなった。

ブラジルでの三年間によく読んでいた文庫本も読めなくなりました。日本に帰って、耳も遠くなって補聴器を付けたが、ますます耳の機能も低下し、閉じこもり気味で人との会話が苦手となりました。

ソーシャルディスタンスの今の世は、人間関係を切り裂く社会。なおさら猫と孤独に暮らす。仏教は閉じこもりを教えてはいない、少しも楽にはなりませんとか言って求めている傾向があるが、自分の安らかな時間を改めて気づかされている。

南米はキリスト教が主な宗教でクリスマスは賑わう。仏教は花まつりが盛んで象徴的。11月2日はフィナードス(Finados)という「諸死者の日」。この日は日本の「お盆」にあたるもので、骸骨衣装の人々が街に出て騒ぎます。そして教会や墓に花を供える。

仏教は「死を通じての法要」。供養が若い人には分かりにくい。死を通じての出会い。月一回の新聞投稿をしているが、今月は大無量寿経の始めの「老病死に出遭った釈迦」で、釈迦はそれらを見て城を出た。

インドには23回行って、ベナレス・バラナシを。ガンジス川では南北二つの火葬場あり、一つはヒンズー教徒用、もう一つが非ヒンズー教徒用。

焼くのに四時間。焼けていなくてもガンジス川に棒で刺して投げ入れる。それを見ながら例外なく世の非常を思う。あるとき生まれ、あるとき死んでいく、絶対真理。

「まだまだ」だと自分のことは見えない。そこにしがみついて自分を絶対化する。その典型が戦争と差別。他を悪とする。

日本国憲法の施行日は1948年5月3日。「戦争はしないよ」が憲法。二千万人が死んだ戦争。ところが最近のこの状況。南の島にミサイルを置いて、戦争を呼び込む政治。その根本は自らを正とする考え。

姉の婿が急死したので遺体はピチピチしていた。その時50歳の姉は「生きたときの顔を、いだいていたい」からと、火葬場に行きたくないと言った。「あかん」と父。「誰もが死ぬと教えてくれている最後の御教示だ」と。

骨を見てその姉は子供たちに「しっかりみなさい」と。正体幽玄の独善的な私も死ぬる存在である。それに応える生とは?。それは休憩後に。


彼岸法要は日本だけ。聖徳太子の頃から。ブラジルも日系ゆえで勤められているが、日本とは季節が反対。覚りを表す彼岸。お経では第18・19・20願は、私たちに向けられた仏の願い。

「欲生我国」の願。我が国に生まれよとの絶対命令。「願生彼国」、超越的概念とは安田理深の言葉。ご本尊は、客観的には阿弥陀と言っているが、「ナムアミダブツ」で届いている。思いを超えて、来て下さっている。

教学的にはここまでだが、彼岸中日は昼と夜が同じながさ。古代から平等の概念があった。阿弥陀仏は37の名で呼ばれるが、平等覚もそのひとつ。平等に生きよと。死んだ人が平等に生きよと。

「戦争をする生」、正に今の時代。根本的に問い直しなさいと思う根本がお彼岸・お浄土。自分一人が安らぐが信心と思っていることも問い直せと。

差別・戦争。9/2公開の映画は、1923年の関東大震災での佃島事件。日清日露戦争で気負った首都も、大震災で一夜にして焼けたが、流言飛語が飛び交った。

朝鮮・中国・沖縄の人が放火していると、自警団を作らせ思いこませた行政。六千人が犠牲の震災だが、香川県の薬売り15名も地方訛りでの方言が通じず捕まった。

今日でも差別言葉で嫌がらせをするグループが東京にいる。都知事も公式記録が国会図書館にあっても「はっきりしていない」とこう発言。その15人が殺されるとき、正信偈の「宝蔵菩薩」と称えて、通じて6人が助かった。

京都の水平社の6人は行商をしていた。念仏を称えるとは平等に生きることと。

以上、午前席

午後席

彼岸・浄土、私たちは此岸。あの世と彼岸は本質的に違う。時間の流れでは「あの世」と一般的には言うが、彼岸はわからぬゆえに同じ呼び方をしてしまう。

私の村の法事では終わりに御料理をいただくが、主人が初めに挨拶をされる。「よくぞ御参り下さいました、あの世でさぞや喜んでおると思います」と。

仏教は過去・現在・未来を超えた世界。時を超えかかわる。社会観念を超えた世界だが、「今」に取り込められ時間で暮らしていく。

天神菩薩の浄土論願生偈には「観彼世界相 勝過三界道」と欲界などの三界を超えてとある。天神の兄は「出出世界相」と表現している。

私たちを超えた世界が、私たちのいたるところに示され、重誓名聲聞十方。大経には超十方と。聞かないがゆえ、聞くことで現わされる。ナムアミダブツで言葉となって知らされている。「私が自分の都合だけの人間」とわからせている。戦争・差別をする。

彼岸花を「悲願花」と書けば、今からのテーマ。彼岸(浄土)⇔此岸(穢土)。↑往生浄土、↓還来穢土。

鈴木大拙と上田?先生が帰りのハワイでの本願寺回教師研修で講演し、質問が無いので逆に質問した。「なぜ浄土に往生するんですか」と。「往生するのは還って来るためです」と教えられた。

穢土だけなら、迷うておることすら分からぬ。仏の真実の世界に触れないと分らぬ。都合でヨシ・ダメの自分の思いひとつ。こんな悪人と自分は善人と思っている迷い。

自己中心的ゆえに浄土に触れる。「遠い処」などと迷えばわからない。往生浄土・還来穢土、真実にふれることで往相還相:自覚の世界。

自分を正す生活を始めるため念仏。問い直すため。「薬があるからと毒を好むべからず」と親鸞聖人。

東本願寺の700回忌のテーマは「信に生き願に生きる」。座談会で「悲願として届けられている、どう生きるか」と。続きは休憩後に。

休憩

「石かわら礫(つぶて)の如き我らなり」と親鸞。これを黄金に変える。彼に到れば自然に正覚を成る。苦海に還りきて津梁(しんりょう)と作(な)らん。(真宗聖典180頁)。

津梁:御用・使命・ミッション。渡し場の橋、菩薩。「津」は国と国をつなぐ意味もある。菩薩の誕生を願う者は分陀利華と。

仏法広まれ⇔世の中安穏なれ。だが、そうはならないウクライナ。強いて言えばロシア安穏。不変ではない。全てが安穏でなければが仏の願い。

「和」は力のある人がよく言う。大臣・知事が「乱すなよ」とよく使う。あつく三宝を敬えは聖徳太子。

津梁は沖縄の首里城正殿の真ん中の鐘に「万国津梁」と彫ってあった。沖縄は平和外交であったが、明治以降は本土の捨石にされた。そして今も。

念仏で他の人も導く。私の念仏が他の人を救う道。橋渡しの念仏者。それが真宗の教え。教えを見過ごしてきた。目が悪くなって字の重さを知り、「津梁」とさせて行くと親鸞。

二種の回向あり。往相の中に還相あり。唐突な事ではない。大経上巻では浄土を作った。下巻は往生する因と果。結果も書かれてあって全部が津梁。他の人に伝えていく縁となる。


























「facebook」ー2024年11月01日~

 2024年・令和六年 11月22日ーーーーーーーーーーーーーーーー 京都では東本願寺で報恩講法要が始まったと。九州国立博物館は浄土真宗展も始まった。行きたいのだが「頻尿」ゆえ行けぬ。出かけられるのは、漏らしても良い野良仕事とお念仏のみ。南無阿弥陀仏 https://www.yo...